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ミヤザーナツのブログ

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2014年 10月 09日

ちいさな私へ

私にはまだ歩く前の、ほんの赤ちゃんだった頃の記憶があります。

とてつもなく大きな赤い物体が寝ている私にのしかかるように置かれていて
怖くはないけど「なんだかなあ」とうるさく感じている。
手足は動くけどまだ自由ではなくぼんやりとしていて、ふわふわした感覚で
ひとねむりして起きると、誰もいない、うちとは違うにおいのする場所にいたり
次に気がつくと、暖かい母の背中にいたり。
当時から身近だった犬や猫たちのシルエットも、私の目と鼻の先にあって
今とは違った目で私を観ている感じでした。
「チビ。めんどうみてやろうか、からかってやろうか」って。

大きな赤い物体の正体がわかったのはずっと後のことです。
アルバムに収められたモノクロ写真に写っていた赤ちゃんの私と、
大きな「おきあがりこぼし」。
ああ、これのことだったのか。自分が小さかったから
ものすごく巨大に感じたけど、かわいい顔が描いてあったんだなあ。
色については赤かったでしょ?と親に確認しました。

他にも言い出したらきりのないほど、たくさんたくさん、思い出があります。


長いことおつきあいのある友人と最近FBでやりとりしていて
お互いに共通したのは、
なにより「小さな頃の孤独」だったことを知り、
もしかして私が赤ちゃんの記憶が強いのは
小さいながらに緊張感を持って生きていたのかもしれないなあ、と思いました。
私も彼女も特別不幸だったわけではないのですが、たまたま偶然
親以外の大人に世話になった機会が多く、性質としてセンシティヴな子供だったと。

「深いところで大きな影響をおよぼしている経験」だと彼女はいい
私も強く同意します。

そのころの「寂しい」という、言語化も出来なかった
子供の私を納得させる為に、喜ばせる為に、
こうしてずっと、絵を描いているのではと。
深いところでまだまだ未消化で気が済んでいない
言いたいことがたくさんある「子供の自分」が
いちばんの鑑賞者なんだと、改めて納得しました。

「誰に対して」制作するのかは、いちばん大切です。
私は「ちいさな私」に対してずっと作ってることがよーく、わかりました。

わかったことでさらにこれからもずっと、より意識し丁寧に、
愛情を持って伝えていきたいなあと思います。

一生かかるね、きっと。
ああ、でも、なんてやりがいのあることだろう。
ちいさな私へ_e0026053_14433755.jpg

母が「どこででも寝てくれて、まったく手のかからない子で
それがかわいそうだった」という言葉が、今なら素直に受けとめられます。
私は負けず嫌いで、いつでも元気のいい暴れん坊の自分でいたかったので....
さみしがりやのかわいそうな私ではいたくなかったの。ははは。

by natsu_miyazawa | 2014-10-09 14:44


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